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海賊の歴史は古く、古代ギリシャの叙事詩や伝説にも登場し、8世紀の北欧のヴァイキング、そしてアジアでも倭寇と呼ばれる海賊が中国や朝鮮の沿岸を荒しまわりました。数こそ激減したものの、海賊行為は現在も横行し、多くの船舶が海賊の被害を受けています。それにもかかわらず、海賊を題材とした小説や映画は高い人気を誇り、海賊という生き方は多くの少年たちに夢とロマンを与え続けています。財宝を求めて船を操り、7つの海をまたにかけた海の冒険家。今回は海賊について特集いたします。
北アフリカ海岸を拠点としたイスラム教徒の船乗り達、それがバルバリア海賊です。その活動範囲は広域にわたり、地中海をはじめ、バルト海、インド洋、大西洋、アメリカ近海、そしてカリブ海にも進出。とくに「赤髭」と呼ばれヨーロッパ人から恐れられた大海賊Hayreddin Barbarossa (c.1478 – 1546) は、1538年のスペインとのプレヴェザ海戦の勝利を導いたことで有名です。
15世紀半ば、長い間イスラムの圧迫を受けていたポルトガルとスペインでは、イスラム勢力を駆逐し、そして新たな交易ルートの確保するため、両国は競い合って海に乗り出して行きました。大航海時代の始まりです。その勢いを止めるべく、イギリスとフランスは民間船に私掠勅許状を与え、敵国の船を襲い略奪させます。フランスでは "Corsair" コルセア と呼ばれました。
16世紀初め、スペイン人たちは植民地で次々と銀山を発見しました。その財宝を運ぶ船を狙った海賊たちがカリブ海に出没するようになります。フランスやイギリスの失業者、荒くれや逃亡者が生きるために海賊となり、彼らは「バッカニア」と呼ばれました。その呼び名は西インド諸島の原住民が作る日干し肉 “buccaning” を航海食としたことに由来します。私掠船は掠奪後、捕虜を解放するというのが普通でしたが、海賊は身代金をとる場合を除き例外なく乗組員を殺し、船を沈めました。
海賊は、出現した時代や活躍した地域により、その呼び名や形態は変わります。商売に行き詰まった商人、職を失った元海軍兵、漁業だけでは生計が立たない漁師達…。そもそも、人々が海賊になる理由は何なのか。それはただひたすら生きるためであり、これが基本的な海賊の一形態です。現在、ソマリア近海で海賊が横行し国際的な懸念を呼んでいます。ソマリア国内の政治的混乱と貧困という根本的な問題の解決なくして、海賊問題の根絶はありえません。
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